皆さんこんにちは!おこげです。
たまには毛筆を書いていますか?
これから書道を始めようという方、興味がある方又は、初心者の方向けに「書体」について文字の起源と共にその書体が成立したとされる時代順(時代背景含めて)にそれぞれの書体の特徴について動画よりも少し掘り下げて説明していきます。 長くなりますがしばらくお付き合い下さい。
【書体とは】
簡単に言うと「文字の書き方や字の形」の事です。身近な例で言うと、皆さんが普段書かれている書体は「楷書」がメインになっていると思います。「楷書」は私たちが住む日本で公に使用されている書体ですね。ですから、現在使用されている契約書や公文書等すべての公的書類の一文に「楷書」で書く様に指定がされている訳ですね。また、「行書」や「草書」を普段書いているという方もおられるのではないでしょうか?その他にも「隷書」「篆書」という書体があります。「楷書」以外の書体(行書を除いて)は、普段必触れることはありませんが、書道を始めると様々な書体と出会う事となります。
【文字の起源】
今から約4000年ほど前の中国を統治していた「黄帝(こうてい)」の家臣「蒼頡(そうけつ)」という人物が、鳥の足跡を見て漢字の原型を作ったとされていますね。現存する最古の文字は、それから約1000年後の紀元前1600年頃の中国大陸には「殷(いん)」という国が有り、この国で主に使用されていた「甲骨文字(甲骨文または亀甲獣骨文)」で、これが文字の起源とされています。
【甲骨文字(亀甲獣骨文)】
「甲骨文字(甲骨文)」は、動物の骨や亀の甲羅など硬いものに、細く硬く鋭いもの(刀とも言われていますが詳細は不明)で文字を刻んだもので、大変小さいものに至っては肉眼では判別できない大きさもある様です。文字自体は、物の形を当てはめた「象形文字」や文字同士を組み合わせて作った「会意文字」等があります。甲骨文字の主な用途は神様との交信、つまり占いに使用されていたものと考えられています。その他、人との間でのやりとりにも用いられていたという記述もあるようです。 これらの内容は、甲骨文字を解読したところ、記されていたものです。
甲骨文字の発見については所説有りますが、清朝(1616年~1912年)の要職に就いていた「王懿栄(おういえい)」という方が、服用していた漢方薬「竜骨」の素材に何か文字のようなものが書かれていることを偶然に発見した事がきっかけとされています。さて、「殷」といえば「封神演義」の舞台となっている国で有名ですね。因みに、この「封神演義」ですがファンタジー要素満載の物語で、アニメやドラマ等数々の作品が有るので内容は良く分からなくても聞いたことが有るという方も多いのではないでしょうか。この物語の舞台は「殷」の最後の国王「紂王(紂王)」の治世で、「妲己(だっき)」に良いように操られた国王が暴政を行っていた時代。人界と仙界が有り、「太公望(たいこうぼう)」(崑崙の道士)が主人公として登場するものですね。「妲己」は1000年生きた狐狸の精(九尾の狐とも)で、所説ありますが日本でも平安時代の物語に「玉藻の前(たまものまえ)」という名で登場します。日本では「帝(みかど)」を操り「殷」同様に暴政を行いますが、最強の陰陽師「安倍晴明」に正体を見破られ、討伐をうけ最期の地で「殺生石」になったと言い伝えられています。
【金文】
紀元前1050年頃になると「殷」を倒した「武王(ぶおう)」が「周(しゅう)」を建国します。周ではさらに技術が発達し、青銅器が登場します。この青銅器に文字を鋳込む(鋳型に文字を刻む等して鋳込む)または刻むようになっており、金属に文字が書かれている(鋳込む)事から「金文(きんぶん)」と呼ばれているようです。因みに、現在でもどのようにして「文字を鋳込んだのか」詳細な方法は明確になっていないそうです。甲骨文字は硬いものに刻んでいた事もあり文字を構成する点画に直線と角が多くみられますが、「金文」は「甲骨文」に比べて文字を構成する点画に曲線や円があり、線も強く形も整ってきました。全体的に見ると文字の形にあまり大きな差は見られませんが、少しずつ変化を遂げている事が分かりますね。
【石鼓文】
紀元前770年頃になると「東周(又は春秋時代)」に移り変わります。この時代では複数の国が割拠し、各国で文字が独自の発展を遂げていきます。紀元前400年頃「東周(又は戦国時代)」になると、「石鼓分(せっこぶん)」と呼ばれる独特の文字が流行したようです。この「石鼓分」は「金文」よりも点画が省かれ字の形も安定していたそうで、「金文」と「篆書(てんしょ)体」をつないでいたとも思われます。
紀元前、日本では縄文・弥生時代の頃に中国大陸ではかなり文明が発達していた事が覗えますね。次回は「秦」の時代、「篆書」から書いていきます。
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